沖縄戦では15歳から19歳の女学生が看護要員として軍隊に動員されました。「ひめゆり学徒隊」が有名ですが、他にも多くの女学生が動員されています。
当時、沖縄本島に存在した7つの女学校
【沖縄陸軍病院に配属】
沖縄師範学校女子部(ひめゆり学徒隊) 学校所在地:那覇市安里
県立第一高等女学校(ひめゆり学徒隊) 学校所在地:那覇市安里
【第二十四師団野戦病院に配属】
県立第二高等女学校(白梅学徒隊) 学校所在地:那覇市松山
私立沖縄積徳高等女学校(積徳学徒隊) 学校所在地:那覇市久茂地
【第六十二師団野戦病院に配属】
県立首里高等女学校(瑞泉学徒隊) 学校所在地:那覇市首里
私立昭和高等女学校(梯梧学徒隊) 学校所在地:那覇市泊
【沖縄陸軍病院名護分院に配属】
県立第三高等女学校(なごらん学徒隊) 学校所在地:本部町
当時、沖縄の離島に存在した3つの女学校
【第二十八師団第一、第四野戦病院、宮古島陸分病院に配属】
県立宮古高等女学校(宮古高女学徒隊) 学校所在地:宮古島市平良
【第二十八師団第三野戦病院・海軍病院に配属】
県立八重山高等女学校(八重山高女学徒隊) 学校所在地:石垣市登野城
県立八重山農学校・女子(八重山農(女子)学徒隊) 学校所在地:石垣市大川
1944年3月、沖縄に第三十二軍が創設されると、女学生たちも陣地構築や飛行場建設などの軍作業に駆り出されていった。第三十二軍は、女学生も看護要員として軍に動員する計画を立て、沖縄県庁にも協力を求め、軍と県庁の協議の結果、沖縄が戦場になった場合、女学生を看護要員として軍の病院に動員することが決定され、そのために看護教育を行うことも決められた。沖縄戦を知る事典ー被体験世代が語り継ぐ